皆様いかがお過ごしでいらっしゃいますか。いよいよ本格的な梅雨入りとなりました。強い雨も降ったりやんだりが続いています。
6月南座での舞踊公演では、序幕に「夕霧」を題材にしました「由縁の月」を上演しました。二幕目には、久し振りの「重戀雪関扉」の上下段で「小町」と「墨染」を努めさせていただきました。原題は「積戀雪関扉」でございまして元々は常磐津で出来ておりますが、今回は舞踊会ということで「重戀雪関扉」と題名を変えて、演奏は長唄と義太夫の掛け合いで新しい振り付け演出で上演させて頂きました。
また10日〜13日までは「上海万博祝賀中日演劇名優公演」がありまして「上海蘭心劇場」で「牡丹亭」を10日と11日の2日間の上演でした。初日は蘇州昆劇院と私で作りました「中日版牡丹亭」。2日目の「牡丹亭」は、上海昆劇院の先輩の女優さんがお二人参加しまして花を添えて下さいました。3日目は能楽の関根祥六先生の三代能で「船弁慶」を上演でした。前シテの「静」を祥六先生。後シテの「知盛」を祥人さん。「義経」を祥丸さんの親子三代のお能でした。この日は私はお休みでしたので客席で拝見させていただきました。蘭心劇場には橋掛かりがなく、能の演出としては日本のような上演は出来ませんでしたが、日本の芸能が中国の舞台に掛けられたことで、改めて研ぎ澄まされた日本の芸術というものを再認識出来たように思います。そして最終日には「楊貴妃」を題材とした、お能版・京劇版・私の歌舞伎版は、音楽を昆劇院の演奏で上演しておりまして、3種類の「楊貴妃」を取り上げるという珍しい舞台となりました。私はお能の「楊貴妃」が大変好きでしたし、自分の「楊貴妃」にもお能の文学的な様式を頂いております。生前の玄宗と楊貴妃は7月7日の七夕に『二人の愛を永遠に』と誓いを立てました。玄宗皇帝は今は亡き楊貴妃を思い、法師を使いに出します。仙宮に居る楊貴妃は法師に、その時の誓いの証である簪を託し『私の愛も永遠であった』と話します。このように私の楊貴妃も能と同じ形式を取っておりますが、お能と申しますのは表現を面に出さず中に秘めた物をこちらが感じ取るという芸能でもあり、中国では慣れてらっしゃらないこともあったと思いますが、私としてはやはり観ていて大変素晴らしい舞台だと思いました。二幕目には私が昔から憧れておりました梅蘭芳先生のお作りになりました、京劇の「貴妃酔酒」でした。この出し物は元々京劇にはあったのですが、実は昆劇の「牡丹亭」の影響を得て100年ほど前に梅欄芳先生が新しく演出をしたものなのです。梅蘭芳さんとは、祖父と父からの大変縁の深い間柄でございます。
「貴妃酔酒」は、楊貴妃が玄宗皇帝とお庭で会おうと待ちわびていることころへ、今日は玄宗皇帝は他の女性のところへ行ってしまったと伝えられます。その時の楊貴妃が心の憂さを晴らすためにお酒を飲んで寂しさを紛らわせた後、一人で後宮に帰るというお芝居で、華やかな中にも後宮の女の儚さというものが表現されている、京劇では代表的な作品です。私は20年前に新橋演舞場で新作の「楊貴妃」を上演させていただきました。その時に色々と京劇の勉強しておりまして「貴妃酔酒」を梅欄芳先生のご子息の梅保久さんに教えて頂いたのです。
能の関根祥六先生は勿論のこと、中国で大変有名な梅葆玖さんの「貴妃酔酒」、また日本からやってきた「楊貴妃」ということで、劇場に入りきれないほどのお客様がご来場になり、立ち見が出て階段に座って見て下さったお客様もいたくらいです。そのようなお客様からの熱い声援に今更ながら嬉しい思いでいっぱいでございます。
この上海公演のために京都の舞踊会は、前期と後期に分かれてしましましたが、前期の初日とは違い、また新たに身体に馴染んだ後半の初日を改めてお客様に観て頂けましたことが幸いでした。この公演も成功裏に千秋楽を迎えることが出来ましたことを改めて御礼申し上げます。
さて、7月は「打男」の地方公演がございまして、現在は演出のため佐渡に来て稽古をしております。特に19日・20日は私が永年通っております八千代座での公演もございますので、カーテンコールでは御挨拶をさせて頂きたいと思っております。
今年は皆様に東京の舞台でお目にかかれますのは、10月ACTシアターでの「牡丹亭」となり、暫くのご無沙汰となってしまいます。東京で初めての「牡丹亭」を楽しみにして頂けましたら幸いでございます。これから更に暑さに向かいます。皆様どうぞお身体大事になさって、楽しい夏をお過ごし下しませ。
追伸。先日上海でご一緒しました、関根祥人さんが、6月22日に突然ご逝去なさいました。舞台に立つ者といたしまして、また同世代としても大変残念な思いでございます。なんとお悔やみ申し上げたらよいか解りませんが、ただただご冥福をお祈りいたし、生前の思い出を大事にいたすばかりでございます。