| 伝統の読み替え
歌舞伎の世界は、様式があまりに固いですから、逆にそれをポンと取り外すことができるんです。特に女形の世界はそうですね。……で、僕はもっともっと進んでいると思っていたんです、映画のほうが。そしたら、大変な年功序列だし、びっくりしました。
坂東玉三郎
1992年 『外科室』 50分
1993年 『夢の女』 98分
1995年 『天守物語』105分
おそらく坂東玉三郎は、もし歌舞伎の女形として今日の栄光に包まれていなかったとしたら、映画監督としてより正当な評価を受けていたことだろう。日本映画史を振り返ってみると、同じく女形として活躍しながら後に監督として国際的な活躍を見せた人物に、衣笠貞之助がいる。だが彼はメガホンを握り出して以来、けっしてみずからは舞台には立とうとはしなかった。坂東の場合にはその逆で、映画監督という作業は彼の夥しくも多彩な活動(そのなかには海外の舞踏家や音楽家との共演のみならず、演劇学校の開設さえ含まれる)のなかに溶けこんでしまっていて、特別にそれだけが照明を当てられるという機会を逸している。一方で映画評論家たちは、最初から彼のフィルムを余技のように見なして、正面から論じようとしない。
映画監督以外の活動で圧倒的な盛名を誇っている監督にはもう一人北野武がいるが、北野が過剰なばかりの賛辞を批評家たちから受けていることを考えあわせると、坂東のフィルムはあまりに過小評価されているという印象がある。
玉三郎と映画との関係は、七九年に彼が篠田正浩の『夜叉が池』で村娘と妖怪という二役を演じたときに始まった。以後、実相寺昭雄の『帝都物語』(一九八七)における泉鏡花、鈴木清順の『夢二』(一九九一)における画家の稲村御舟といった、どちらかというと高踏的な知識人の役が続く。九四年にはワイダとシュミットというヨーロッパの二人の監督が、彼を主役に据えて『ナスターシャ』と『書かれた顔』というフィルムを完成している。だがこれについては後より詳しく触れることにして、ここではその後の玉三郎の軌跡を簡単に辿っておくことにしよう。九五年までにこれまでの舞踊を全十巻のヴィデオに纏め上げた玉三郎は、この年からは堰を切ったかのように、歌舞伎の大役を次々と手掛けることになる。かつて歌右衛門が得意としていた『先代萩』の政岡、『壇浦兜軍記』の阿古屋、さらに『籠釣瓶』の八ツ橋といった役への挑戦が続く。まさに八面六臂の活躍ぶりであるが、それでは映画監督としての坂東玉三郎の位置は、はたしてどこにあるのだろうか。日本映画のニューウェイヴのひとりとしての彼の位置を、以下に検証してみたいと思う。
2
坂東の第一作に当たる『外科室』は、泉鏡花が若き日に発表した同名の短編を原作としている。
頃は明治の中頃、とある美しい伯爵夫人(吉永小百合)がひどく深刻な病に罹り、緊急に開胸手術を受けなければならなくなる。病院に運ばれた彼女は青年医師(加藤雅也)を前に、なぜか麻酔を施されることを執拗に拒み、メスが胸に振り下ろされた直後に絶命する。執刀した医師も同じ日の夜に自殺する。ここで語りは一挙に九年前に溯り、実はこの二人がある春の昼下がりに、小石川植物園でふと擦れ違ったことのある関係であったことがわかる。彼らは言葉も交わさずに別れたものの、心の奥底では互いに相手を思い続けていた。侯爵夫人が麻酔を嫌ったのは、うわ言で医師への恋情を口にしてしまうのではないかとの恐れからであったと、説明がなされる。
映画としての『外科室』は五〇分という短編ながら、三つの部分、というより三つの層から構成されている。まず狂言回しの画家(中井貴一)が植物園を訪れ、桜の森の満開の下で、あたかも晩年の折口信夫を彷彿させる老園丁と対話をする場面が、冒頭に置かれている。ここで白蛇が現われるという事件が生じるが、原作にはそれに相当するものはない。鏡花の幻想世界に長らく親しんできた監督が、その象徴として登場させたものであろう。これはフィルムの終わりにも反復され、作品全体の枠組みを形作っている。第二に、その語りのなかに登場する回想として、いよいよ侯爵夫人が執刀されることになった当日の病院のシークェンス。最後にこれが分量的にはもっとも長いのだが、さらに九年前の植物園での夫人と医師の、一瞬の邂逅を語る回想場面が控えている。
過去と大過去と一応呼んでおきたいこの二つの回想場面は、まったく異なった調子で演出され、撮影されている。前者を特徴づけているのは、色彩の思いきった禁欲性である。寒々とした病院の暗い回廊に、どこかしらムンクの描く葬礼の参列者に似て、いちように黒い紋付きやフロックコートを身につけて集まる伯爵家の親族たち。彼らの陰気な沈黙が強調される。青年医師の研究室もまた、古色蒼然とした薄暗がりに包まれてはいるが、窓から射しこむ早朝の白々とした陽光が、画面に不思議な緊張感を与えている。それは医師の黒く広いベストと、両腕のシャツの白さにみごとに対応している。
手術台を支配しているのは、端的にいって色彩の不在である。壁とタイルの白。
看護婦と医師の制服の白。手術台のシーツの白。そしてそこに横たわる侯爵夫人の寝着と帯、さらに彼女の血の気の失せた唇の白。清浄とか純潔といった意味付けを越えて圧倒的に君臨する白の帝国のなかに、夫の侯爵以下、黒衣の親族たちが招き寄せられる。いったい若い女性の開胸手術、それも一時を争うという緊急事態に大勢の男たちが厳粛な表情で立ち会うという設定そのものが、常軌を逸したサディスティックな企みであるわけだが、彼らは実のところ、侯爵夫人と医師の醜聞がスぺクタクルとして成立させるために招喚された、匿名の不吉な群衆である。そして惨劇は一瞬にして成就される。侯爵夫人は発作的に身を起こして医師を見つめると、みずからメスを胸に突き立てる。白衣にうっすらと真紅の血が滲み出る。性交の代償ともいうべきこの劇によって、モノクロの単調な世界に亀裂が走ったとき、この手術台の場面は幕を閉じる。
小石川植物園で撮影された大過去の場面は、逆に色彩の過剰によって印象づけられている。ここでは侯爵夫人は横たわる身体ではなく、方向の目的も定めぬままにそぞろ歩きを愉しむ身体である。時間は緊迫した終末への予感など関せずといったふうに、緩慢に流れている。赤い躑躅の小径が登場するが、これはおそらく歌舞伎の花道を意識してのことだろう。侯爵夫人が侍女や力士を従えて、美しい庭園を優雅に横切っていくさまを、カメラは巧みに捕え続ける。
侯爵夫人と医師は、都合三回にわたって対面する。最初、二人は小径で軽く擦れ違い、一瞬静止して、互いに眼を見交わす。二度目は小川を間に挟んで、双方が岸辺に佇みながら。このとき彼らは互いに「彼岸」の存在であって、その姿は岸辺に遅れて駆け付けてきた他の者たちの眼にはとまらない、というより見えないといった演出がなされている。水という物質が神話的に携えている、現世と他界を隔つ力が、ここでは援用されている。白昼の現実にありながら、この二人が別の次元の幻想世界に意識を浮遊させていることを示す、きわめて象徴的なシーンであるといえる。
この小川でも出会いの直後、これまで画面の背後に流れていた琴の音が途切れ、散策にうち興じていた人々が突然、五衰のさなかの天人のように寂しげな表情を見せながら、心なしか帰路を急ぎだす場面となる。みごとな転調である。最後に帰りぎわ、侯爵夫人が医師にむかって振り返り、花を贈られた医師がクローズアップでそれに応じる。もっともこのリヴァースショットは先の二度にわたる出会いに比べると、残念ながら緊張感を欠いている。それに続く、黒服の御者(片岡孝夫)が無言のまま侯爵夫人を馬車で連れ去るショットは、夢幻的で至福の時間が終り、やがて到来することになる病院での凶々しい受難を予感させている。研究室の机で毒を呷る医師を描くショットは、優雅な暗闇に包まれていて、さながらヨーロッパ近世の静物画に似たネクロフィリアを感じさせる。
『外科室』はけっして複雑な構成をもった作品ではないが、きわめてエロティックで幻想的な優雅さをスクリーンに映し出したという点で、映画作家としての坂東を印象づけた。またこれは、主演の吉永小百合が必要最小限の演技を通して女優であることの自己確認をなしえた作品でもあった。この二人のコンビは、次回作『夢の女』へと引き継がれることになる。
3
みずから「試作品」(※2)と呼んで憚らない『外科室』に続いて、ほとんど間をおかずに撮られた 『夢の女』では、大掛かりなセットと撮影装置が準備され、より本格的な作業がなされている。
『夢の女』は、一九八一年の明治座以来、坂東本人がいくたびもなく主役をつとめてきた永井荷風原作、久保田万太郎脚色による同名の舞台の映画化である。もっとも彼はここでは監督に徹し、先にも述べたように、演じ馴れているヒロインの役を吉永小百合に譲っている。
物語は典型的な新派のかたちをとっている。家族の貧窮を救うため、一六歳で富裕な老人の妾となり一児を出産したお浪(吉永小百合)は、老人が急死したため、わずかな手切金を手に法擲される。彼女は幼子を養女に出し、名を楓と改めて、洲崎の遊郭で花魁として働くことになる。薬種問屋の若旦那(永島敏行)が楓を慕って身請けを申し出るが、彼女はそれを無下に拒んでしまう。その結果、若旦那は遊郭の一室で首を吊り、楓には毒婦という評判が立って、すっかり客足が遠のいてしまう。ただひとつの心の支えは養家から戻した愛娘を連れて婆やが訪ねてきてくれることだが、それもときおりであり、荒む心を酒で紛らわせては店のお松どん(樹木希林)に窘められるという昏い日々が続く。そんな楓にも運命の転機が廻り、あるとき世間知に長けた相場師に身請けされた彼女は、廓を出て築地に待ち合いを開く身となる。八年の歳月が経ち、ある名月の夜、彼女はたまたま人に誘われて古巣であった洲崎を訪れる。そこでは以前と変わりなくお松どんがいて、かいがいしく働いており、その傍らには二代目の楓を名乗る少女がいる。お浪は彼女を前に過ぎ来しかたを思い出し、過去も未来もひとしく夢幻のようではないかという眩暈の感覚に襲われつつ、小舟で夜の海を帰ってゆく。「夢の女」という題名には二重の意味が隠されている。遊郭に通う男たちにとって羨望の的である花魁という意味と、みずから過去にも未来にも確固とした観念をもつことができず、ただはかなげな幻影のうちに移ろってゆく女という意味である。このフィルムはいくえにも重なりあったフラッシュバックから語り起こされている。タイトルバックでは実家から上京するお浪が夜汽車の二等席に座って物思いに耽っているさまがクローズアップで描かれ、次に汽車の窓ガラスに映った彼女を捕らえたショットへと転じる。両者は同じ構図のもとに撮影されているが、現実とガラスに映った朧気な反映とでは、画面の地肌にいくばくかの違いが見られる。この二ショットの連鎖が作品そのものの主題と深く関連していることは、最後に富裕な身分となった彼女が小舟に乗り込んで、かつて住んでいた洲崎を去ろうとするさいにも、同じ構図のもとに同じ表情が示されていることからも、あきらかであろう。物語は語り始められたときと同じように、洲崎の船着き場を描いた夜の光景で終了するが、ここには説話行為をめぐる正確な対称が見られる。主人公は過去(家庭の悲惨)と現在(零落した芸者稼業)、現実(一児の母としての貧しいお浪)と虚像(華麗な衣装と優雅な性的魅力をもった楓)といった二項対立の間を忙しげに往復しながら、最後に淡い恍惚感に包まれつつ、もはや夢でもノスタルジアでもない虚無の余韻のなかに置き去りにされてしまうのである。
坂東はこの美しい物語を、モノクロームで撮影している。薄暗い日本間の白い襖を開けたとき、画面の深奥に控えている玄関先に降りしきっている雪。耿々とした満月とガス灯に照らされながら、静かに波音を立てている昏い夜の海。その海に月の光が照り返り、洲崎のイルミネーションとともに、小舟に乗りこんだお浪の顔にちらちらと反射するさまを、長沼六男のカメラはけっして見落としてはいない。おそらく『夢の女』は、九〇年代に撮られた日本映画のなかで『陰影礼讃』で谷崎潤一郎が説いた教えにもっとも忠実な作品であるといってもいいかもしれない。
さらに見落してはならないのは、『外科室』では用いられていなかったクレーンをはじめとする移動撮影が、この作品ではほとんど淫するばかりに頻繁に使用されているという事実である。そのもっとも優れた例は、冒頭と終結部で洲崎の船着き場から土手、遊郭のそばの空地をめぐって人物たちが移動をするさいに用いられている。冒頭では、岸辺に到着する舟から客が降り立ち、登楼の道を辿るさまが、この悪場所の殷賑ぶりを一望で示すかのように、長い移動によって描かれている。ここではカメラは思い切り低く、ほとんど船着き場の水面の位置に置かれながら、仰角で人物たちを捕らえ、空間の全体性を提示することに成功している。思うにここで、溝口健二が『残菊物語』で試みた水面からの撮影を思い出すことは、映画史的に見ても正しいことだろう。
だがさらに驚嘆すべきなのは、最後の場面でお浪が洲崎を去ろうと夜の岸辺を歩いていくショットであろう。すでに観客は冒頭からいくたびとなくこの岸辺を見ている。花魁時代の楓が憂鬱な心を抱きながら、昼にまた夕暮れにここから波しぶく海を眺めてきたことに、突きあわされている。だが、満月の夜にこの空間の全体が提示されたことは、これまでになかった。この場面では最初、満月の照り返る下でひとりの花魁が昏い海を眺めているさまが、後ろ向きで示される。観客はこれまでの物語の推移から、当然のことながら彼女が楓だと見紛うが、やがてそれが二代目の楓であり、この少女とお松どんとの会話からつい直前のショットからすでに恐ろしく長い歳月が経過したことが判明する。そこへ冒頭と同じく小舟が到着し、客たちが上陸する。その後、画面には見えないが岸辺の向こう側、すなわち船着き場からお浪がすっと立って岸辺に登り、そのまま画面の水平方向にそって歩いてゆくさまが、あたかも歌舞伎の花道であるかのように撮影されている。ここでいかにもその場の雰囲気を盛り上げるかのように遊郭のどこかしらから新内が流れてくるという工夫がなされている。その後、お浪と少女の親密な会話の場面が続く。彼女たちがひょっとして互いに分身の関係であるかのように、カメラは二つの焦点を見据えながら緩やかに動く。
この後に続く大がかりなクレーン撮影は、坂東が溝口の映画的遺産を継承しようとする野心の現われであると見ることができるだろう。カメラはこれまでになく高い視点から庭と階段、長々と続く岸辺のすべてを捕らえると、今度は急に視点を下げ、お浪がその花道を先ほどとは逆に戻って停泊中の小舟に乗ろうとするまでを、とぎれることなく収めようとする。もちろんこうした場面設定が、坂東が馴れ親しんできた歌舞伎と新派の舞台での空間構成に基づいていることは、いうまでもない。
だが坂東は書き割りの舞台を離れ現実の風景を前にしたとき、日本映画がこれまで築きあげてきた空間分節の文法の存在に突き当たり、その読み直しをもってみずからの映画的使命とするに至ったといえる。そして空間のダイナミックな展開が一通り終わったとき観客が手にするのは、冒頭と同じく暗い海にいつまでも漂い続けている小舟の緩やかな運動である。「今回は場面というよりは余情を撮りたかったん(※3)です」という坂東の言葉は、もはや彼の内面で『夢の女』が単なる図式に沿った習作ではなく、きわめて精緻な感情に基づいた作品であることを示している。
4
『夢の女』を撮り終わった坂東玉三郎は、第三作にあたる『天守物語』までの間に、二本のヨーロッパ映画で主演を演じている。このときの体験は彼に、映画の監督術をめぐって少なからぬものを与えたようである。簡単に触れておこう。
アンジェイ・ワイダとの共同作業は、彼が八九年にドストエフスキーの『白痴』に基づいた『ナスターシャ』なる芝居を、玉三郎主演で演出したときに始まった。長大な原作からはわずかに最後の部分だけが採用された。登場人物はわずか二人、ムイシュキンとラゴージンとがナスターシャの屍体の横たわる寝室のわきの居間で、悔悟をこめた思い出を語りあうという筋立ての芝居である。彼らの語りのさなかに現実と過去が重なりあい、ナスターシャが顕現する。東京の小劇場で演じられた舞台では、玉三郎はわずかショールを一枚身に纏うだけで、瞬時のうちにムイシュキンからナスターシャへと変身してみせ、この二人がもとより一対の同一人物ではなかったかというワイダのドストエフスキー解釈をきわめて説得的に演じきっている。
九四年にワイダがポーランドにロケして『ナスターシャ』を映画化したとき、玉三郎の相手役には永島敏行が選ばれた。フィルムは完成すると東京でひとまず公開されたが、玉三郎はその後、それを携えて北海道から九州まで、五〇ヵ所の地方公民館や劇場を訪れ、みずからの説明ののちにフィルムを上映するという「巡業」を続けた。これは自分の観客を直接に知りたいという彼の希望によるものであったが、同時に松竹に代表される現行の映画配給制度、すなわち全国の映画館でいっせいに封切ったのちはヴィデオにこそなれ、二度と顧みられることはないというシステム(※4)に対する、彼の側からの強い異議申し立てでもあった。この放浪の旅芸人を連想させる企てはけっして楽なものではなかったが、玉三郎がいかに現在日本の非映画的環境に対して強い憤りを抱いているかを、充分に物語っている挿話であるといえる。
続く九五年にダニエル・シュミットがなかばドキュメンタリー、なかば劇映画という形式で『書かれた顔』を撮ったことは、すでに日本の映画界にあって二本のフィルムを監督し、その融通のきかないシステムになかば疲幣を感じていた玉三郎に、新鮮な衝撃をもたらしたようである。ロラン・バルトの「記号の帝国」に想を得て、大野一雄、杉村春子、武原はんといった高齢の芸術家にカメラを向けていたシュミットは、かねてから懸案を抱いていた玉三郎をついに被写体とすることに成功する。フィルムのなかで彼は鏡の前で女形へと変身してゆく過程を披露し、さまざまな問に答え、寸劇を演じてみせる。また沈む夕陽を眺めながら、イタリア語で感想を口にしたりもする。このときの撮影体験は坂東に大きな解放感を与えたようである。彼はさるインタヴュウのなかで、シュミットの映画作りが日本映画の堅苦しさに対して「もっと自由というかでたらめ」であり「いい意味でのアマチュアっぽさがある(※5)」と、快活な口調で語っている。そしてそれは、一度は日本映画界の陋習に満ちた体制に疲幣した坂東に、もう一度メガホンを握らせる機掛(きっか)けとなった。
5
『天守物語』は、『外科室』と同様に鏡花を原作と仰いでいるが、先の二作とはまったく異なり、超自然的な設定のもとに物語が語られる。そのあり方は幻想的fantastiqueというよりも、むしろ妖精的feгiqueと呼ぶのがふさわしい。
時代は戦国の世、姫路城の天守閣の第五層は、恐ろしい獅子頭が安置されているおかげで、長い間人間が足を踏み入れることがなく、妖怪たちの住処と化している。
その頭目である美貌の富姫(坂東玉三郎)は土地の 精霊(ゲニウス・ロキ)とでもいうべき存在であり、天守閣から下界の侍どもの虚しい権謀術策のさまを眺めては、嘲りの言葉を吐いている。第五層は地上の論理がすべて転倒する魔術的な空間である。富姫の侍女たたいは白露を餌に地上に釣糸を垂らして、魚ならぬ秋の草花を釣り上げるという遊びに耽っている。また天守閣では生々しい存在であった侍の生首は、地上に持ち帰るや、たちどころに消滅してしまう。異界の者の巣窟であるとはいえ、ここには恐怖はなく、かわりに世界のすべてが幻であるという認識からくる、はかなげなロマンティシズムが漂っている。
富姫のもとに妹分にあたる亀姫(宮沢りえ)が猪苗代の城主の生首を土産に到来し、二人は仲睦まじく語りあう。富姫は彼女に白鷹を与えて帰らせる。だがお城の白鷹が行方不明になったというので、夜更けに一人の若侍の図書之助(宍戸開)が天守閣へと登ってくる。富姫はひさかたぶりに見る人間の若者にたちまちのうちに恋をしてしまう。自分の気紛れが災いして、図書之助が下界でのあらぬ嫌疑を受け、追われる身となったと知った富姫は、彼を獅子頭の母衣(ほろ)のなかに匿う。追っ手の侍たちが大挙して登ってきて、獅子頭の眼を傷つけたため、富姫をはじめすべての妖怪たちが視力を喪い、死の瀬戸際にまで追い詰められる。だがここにその昔に獅子頭を彫った老人が出現して、彼らを救出する。
坂東玉三郎は一九七七年以来、この戯曲を繰り返し舞台に乗せ、主演を務めている。今回の映画化に際しては、つい前年にセゾン劇場で行なわれたキャスティングが原形となっている。舞台から映画に移行するさいには、いくつかの変更がなされたので、指摘しておきたい。
まず坂東は、主人公の富姫と、その侍女であるグロテスクな舌長姥の両方を同時に演じるという、思い切った実験を行なっている。舌長姥は原作の戯曲によれば、亀姫からの土産である生首についた生血を、その異常に長い舌でもってペロペロと舐めまわる、醜怪なる老婆である。舞台では樹木希林が演じていたこの役を、玉三郎は映画でしか可能でない一人二役の手法を用いて演じている。これは、高貴にして優雅な富姫と、下賎の妖怪である姥とが、実のところ分身の間柄にあり、人肉嗜食という同じ欲望の徒であるという解釈を、原作にむかって突きつけたことを、意味している。
次にフィルムでは、図書之助が姿を隠そうと獅子頭の母衣を借りようとするとき、あたかも富姫の長い裳裾の内側に包みこまれるようなしぐさを見せる。これは男女間の性的な隠喩であるばかりか、さらに大きな意味で象徴的な意味をもっている。もはや獅子と合体して巨大な身体と化した富姫は、この若侍を息子のように呑みこんでしまうのである。二人はやがて盲目という一時的仮死状態に陥ったのちに、老賢者の力を借りて救出される。再生をとげた彼らは、白衣に黒髪の姿で、もはや年齢や性別どころか、人間と妖怪の区別すらも越えた、アンドロギュノス的な存在へと変身を遂げている。坂東の演出は、この戯曲に単なる異類婚姻のメロドラマを見るのではなく、その深奥には死と再生の象徴論的思考が横たわっていることを、みごとに見抜いている。
最後にこのフィルムでは、冒頭と終りに島田正吾の老賢者が登場することで、全体がみごとに枠物語として完結するようになっている。観終わったのちに観客が抱くのは、このすべてが老工が獅子頭を彫りつつ見た一抹の夢ではなかったかという印象である。世界のすべてはわが脳髄のうちにおいて生じるというロマン主義的な情念が、ここでは増幅されて用いられている。
坂東は『天守物語』を撮影するにあたって水平移動によるカメラを重視し、あえてショットを細かく割ることを避けて、全体の空間が現出されるように務めている。にもかかわらず、これが単なる舞台の実況中継などではないことは、ここに述べた三点からも明らかだろう。鏡花の作品に深く親しみ、別のフィルムでは他ならぬ鏡花本人を演じたこともある坂東玉三郎は、あまりの難解さに生前は一度も舞台にかかることがなかったというこの戯曲を、ついにスクリーンに乗せることに成功したのである。
6
いかなる映画産業も、その国なり民族がそれ以前から携えていた大衆演劇・舞踊・音楽の存在から切り離された時点では開始されないし、また発達もしない。一八九九年に日本人が最初に撮影したフィルムのひとつが、九代目団十郎と五代目菊五郎の出演する『紅葉狩』であったことは、意味深長である。その後の無声映画時代に、歌舞伎と新派から実に多くの物語の題材が採られたりしたことを考えるなら、ここにこそ日本映画の源泉があったというべきであろう。
ここで近代日本における文芸と映画の関係を振り返ってみよう。小説家としての泉鏡花は、谷崎潤一郎や三島由紀夫のように、けっして直接的に映画界に関わったり、また脚本を提供したわけではなかった。だが彼は新派芝居に多くの原作を提供したり、ときに科白を書き下ろしたりすることを通して、日本映画の主調音とでもいうべきものに決定的な影響を与えた。溝口健二、衣笠貞之助から鈴木清順、寺山修司まで多くの監督があたかも胸を借りるようにどこかで泉鏡花に耽溺し、その映画化を通して日本映画を発展させてきた。日本におけるメロドラマの独自さを考えるとき、鏡花が作り上げた世界を探求することが必須であるのは、そのためである。
一九一八年に帰山教正が『生の輝き』で花柳はるみを起用するまで、日本映画において女優なるものは存在していなかった。その欠落を埋めていたのは、歌舞伎に由来する女形であった。二〇年代になって女優の映画界進出が一般的となったとき、これまで盛名を誇っていた女形の俳優はいっせいに職を喪ったが、やがてそのなかから衣笠貞之助のように監督として頭角を示す者が出てきた。この衣笠に発見されたのが林長二郎、すなわち後の長谷川一夫であり、彼が女形の歌舞伎役者を演じた『雪之丞変化』(一九三五)が大ヒットしたということは、ひとたび中絶したように見えて、日本映画のなかに女形の系譜が綿々と流れていることを充分に物語っている。花柳章太郎から市川雷蔵を通して現代にまで、この水脈はけっして途切れてはいない。
坂東玉三郎が日本映画史において重要であるとすれば、それはこれまでわれわれが挙げてきた、日本映画を歴史的に構成してきた三つの要素の結節点に、他ならぬ彼が位置しているからである。玉三郎は女形として歌舞伎界を代表する役者であり、しかも鏡花を原作とする新派芝居でも長く活躍していることは、ここにいうまでもあるまい。だが、彼を今日の映画シーンで重要な存在に仕立てあげている要因は、かならずしもそればかりではない。ワイダやシュミットといったヨーロッパの監督の作品に軽々と主演するばかりか、積極的に溝口健二に代表される日本映画の発掘作業を、みずからの監督術を通して実践している彼のあり方が、きわめて映画的な刺激をともなっているからでもある。
あるとき筆者と仕事の打ち合わせで食事をしていた坂東玉三郎は、いつか宮沢りえで『高野聖』を撮ってみたいものだと、見果てぬ夢を語ったことがあった。鏡花の映画化の系譜のなかで、彼の映画的経歴がますます輝かしいものとなることを、祈りたい。
※1 坂東玉三郎、三国連太郎対談「日本的なるものへの回帰」(日本版「エスクワィア」1991年12月、115頁)より。
※2 インタヴュウ(「シューティング・アイ」1994年11月号、2頁)による。
※3 インタヴュウ(「MORE」1993年6月号、157頁)による。
※4 坂東は黒田邦雄のインタヴュウに答えて、現行の映画の公開形態に対して、根本的な疑問を投げかけている。「キネマ旬報」一九九四年四月下旬号を参照。ちなみにこのインタヴュウは、ヴィデオに対するフィルムの美学的な優位から、十代におけるフェリーニ、パゾリーニといった映画体験に至るまで、彼の映画観を知るうえで興味深い。
※5 インタヴュウ(「MORE」1995年2月号、285頁)。
(よもた・いぬひこ 比較文化・映像論)
『この記事は岩波書店の許可を得て転載したものです。
岩波書店及び四方田氏 に無断で複製、翻訳、送信、出版、頒布するなど、
著作権を侵害する一切の行為を禁止します。』
|